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肩関節学会40年史

故・加藤文雄名誉会員

玉井和哉

 誰もが加藤文雄先生はスマートだったと言う。確かにボート、テニスで鍛えられた体躯はスポーツマンらしく無駄がなく、まっすぐ背骨を伸ばして歩く姿は美しかった。
 それだけではない。私が東大整形外科に入局して間もないころ、東京警察病院から東大の股関節診に来ておられた加藤先生の外来を拝見する機会があった。先生はいつも真摯な態度でにこやかに患者に接し、そのうえ診察は要領よくポイントを押さえ、そして解釈の難しい病態や複雑な患者の気持ちを、簡潔に私たちに説明してくれた。駆け出しの若造には理解の及ばないこともあったが、後でそれがいかに本質を捉えたスマートな説明であったかを悟った。
 加藤先生は次第に肩関節に力を入れられ、肩鎖関節脱臼や反復性脱臼の治療を探求された。警察官の肩の外傷をていねいに調査され、文献検索も時間をかけて行っておられた。加藤先生はいつも静かな口調で発言され、口数も多い方ではなかったが、加藤先生が何かをおっしゃる際にはすでに相当な情報収集と綿密な考察がなされていることに、だんだん気付くようになった。加藤先生は米国留学のご経験もあって英語に堪能だった。学会で”Tell me ---“と質問されていたお声が今でも耳に残っている。英語も穏やかな口調であった。しかし十分な答が得られなかった場合は休憩時間などに納得行くまで討議なさるなど、旺盛な学術的探究心をお持ちだった。
 加藤先生は1983年から肩関節研究会(当時)の幹事を勤められ、1990年には第17回肩関節研究会を主催された。このときの主題は『スポーツ選手の肩の障害・外傷の治療』であった。1989年には山本龍二先生、水野耕作先生とともに編者として『肩関節の外科』(南江堂)を出版されたが、その中で、また2000年の第2版でも執筆を担当された肩鎖関節脱臼の研究は、加藤先生が最も情熱を注がれた分野ではないかと思う。X線上3度損傷であっても烏口鎖骨靭帯の切れていない例や菱形靱帯のみ切れている例があることを指摘され、単純に分類されるこの外傷の病態が決して単純ではないことを示された。また治療については、保存治療、経皮的Kirschner鋼線固定法、Phemister変法の長期成績を比較すると、Phemister変法が最も良かったと報告され、機能回復が最も早いとされる保存治療を安易に選択することに警鐘を鳴らされた。加藤先生は、第17回肩関節研究会に招待されたWatson先生の編著(Surgical Disorders of the Shoulder, 1991)の中でも、このことをお書きになっている。
 加藤先生は発表までに苦労なさった(と思われる)研究であっても、何事もなかったかのように短く語られ、自慢することもなく、さらりと終えられた。その代わりというわけではないが、ご自身の真摯な姿勢と人への思いやり、品格のある態度で多くのことを語ってくれた。そのことが何よりもスマートであり、それが加藤流であった。

【加藤文雄先生 年譜】
1934年7月27日 東京生まれ
1959年 東京大学医学部卒業
1960年 東京大学整形外科入局
1967~1968年 米国留学(Duke大学、Harvard大学)
1974年 東京大学整形外科講師
1976年 東京警察病院整形外科部長
1983年 肩関節研究会幹事
1990年 第17回肩関節研究会会長
1999年 西東京警察病院院長(~2001年)日本肩関節学会名誉会員
2005年12月4日 没