大阪医科薬科大学 整形外科
三幡 輝久
日本肩関節学会物故名誉会員である阿部宗昭教授は2019年11月15日にご逝去されました。本学会が50周年の節目の年を迎えるにあたり、我々“大阪医科薬科大学肩班の生みの親”である阿部教授のご経歴の一端を披露し、肩関節外科医としての業績を回顧して故人を偲び、ご冥福をお祈りしたいと存じます。
阿部教授は1966年に大阪医科大学を卒業後、1970年に同大学の助手、1979年に同講師、1983年同助教授、1996年同教授、2006年同名誉教授に就任されましたように、まさに大阪医科大学一筋の人生でした。1993年に日本創外固定・骨延長学会会長(当時は研究会)、1995年に中部日本手外科学会会長、1997年に日本肘関節学会会長、1998年に日本骨折治療学会会長、2001年に中部日本整形外科災害外科学会会長、2004年に日本手外科学会会長を歴任されていますように、肘と手の外科分野における顕著なご活躍は皆様がご存知の通りかと思います。日本肩関節学会においては学会長をされていませんが、2000年に幹事に就任され、2006年に名誉会員に就任されています。
阿部教授は温厚な人柄で、面倒見が良く、人望の厚い先生で、医局員や同門会員を非常に大切にされる先生でした。仕事においては非の打ちどころがなく、臨床、研究、教育、全てが完璧でした。阿部教授の業績を拝見しますと、インターネットやパソコンなどが普及していない時代から多くの論文を発表されていることに驚かされますが、ご逝去された2019年のJournal of Shoulder and Elbow Surgeryに論文が掲載されていますように最期の最期まで論文を執筆されていたことに敬服いたします。オンライン投稿を苦手にされていましたので、投稿時には私がお手伝いさせていただきました。2019年の論文を投稿された時はお元気でしたので、まさかこれが最後のお手伝いになるとは想像もしていませんでした。
阿部教授は医学用語の使い方にはかなり厳しい先生でした。阿部教授の用語に関する教えは今でも我々大阪医科薬科大学整形外科学教室に引き継がれています。阿部教授が用語の使い方について、信原克哉先生と熱い討論を繰り広げられたことがあります。2000年頃の本学会学術集会において信原先生が肩甲関節窩(整形外科用語集に記載)のことを臼蓋と呼ばれて発表をされていましたところ、阿部教授が質問に立たれ、“解剖学書や整形外科用語集には記載されていないようなコンセンサスが得られていない用語を学術集会で使用するのは控えるべきである”と信原先生に強い口調で注意されていました。日本中の肩の外科医が集まる学術集会ですので、“アカデミックな学術集会では正しい用語を使用して討論すべきである”と阿部教授は日本肩関節学会会員の皆様に伝えたかったのだろうと推察します。この阿部教授の考え方は現代では全世界的に常識になっており誰も異論はないと思いますが、まだまだ学会で討論する上でのルールが明確になっていなかった時代に阿部教授が信原先生に用語の使い方に関して学会場で直接に指摘されたということがどれほど勇敢であったかは想像していただけるかと思います。
阿部教授の手術技術の高さは突出しており、難しい手術であっても誰も真似ができないような華麗な手捌きで、出血することもほとんどありませんでした。最近はあまり見かけなくなりましたが、1990年代はバイク事故による腕神経叢損傷の患者が多く、全国から大阪医科大学に紹介される患者に対して阿部教授は神経移植などの難易度の高い手術を積極的に行っておられました。そのため病棟には常時3−4人の腕神経叢損傷患者が入院していました。当時私は研修医でしたが、術後に大きな装具で上肢を固定された患者の多くが、阿部教授に手術をしていただいたことに対して大変感謝しておられたことを記憶しています。
肩関節前方脱臼に対しては、1984年から“du Toit”法を行っておられました。1993年に雑誌肩関節にその治療成績を報告されていますが、再脱臼率は5%(1/19肩)のみであり、素晴らしい治療成績です。“du Toit”法はステープルを使用するため、不十分な固定力や合併症のリスクなどという幾つかの問題点がある中で、ほとんどの症例でJOAスコアが90点以上(15/19肩)という素晴らしい結果を得られていたのは、不完全な手術方法というdisadvantageを阿部教授の手術技術で補うことで実現したのだろうと推察します。また特筆すべきは、論文中に“肩関節前方脱臼に対して良好な成績を得るためには、拘縮により肩の安定化を計るのではなく、柔軟で、かつ安定した肩を再建することが重要である”と述べられていることです。柔軟性と安定性は相反する性質であり、この2つを同時に求めることは一見矛盾する考え方です。そのため手術方法が確立されていなかった時代においては、まずは柔軟性を犠牲にして安定性を獲得するという考え方が主流だったと思われます。しかし阿部教授は“その二つを同時に求めるべきだ”と述べられており、ここでも阿部教授の先見の明には驚かされます。実際に現在私が克服したいと考えているテーマがまさにこの阿部教授の目指されていた内容であり、肩関節不安定症の患者に対して、どうすれば“柔軟性と安定性を同時に獲得する”ことができるかということを考え続けています。これが実現すれば、野球選手をはじめとするオーバーヘッドスポーツ選手の肩関節不安定症の治療成績は飛躍的に向上します。私が現役の間に、是非とも新しい肩の再建術を確立し、阿部教授が30年前に述べられていた理論を実現したいと強く思っています。
- 阿部宗昭教授の病棟回診
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阿部宗昭教授(中央)とThay Q Lee教授(左)、私(右)
(2004年、大阪:阿部教授が会長をされた日本手外科学会にて)
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阿部宗昭教授(左)と小野村敏信教授(右)
(2016年、京都:渡邉千聡先生が会長をされた第28回日本整形外科超音波学会の会長招宴にて)
- 阿部宗昭教授(右)と根尾昌志教授(左)