廣瀬秀史
藤巻先生がお亡くなりになられ今年の11月で丸14年、光陰矢の如しとはまさにこのことかと思われます。先生は私が昭和大学整形外科学教室に入局して2年目の春に第5代整形外科主任教授になられました。
先生と私と肩関節外科の1番の思い出は私が医局員2年目、出張先の病院での転落外傷による4パートの上腕骨近位端骨折の症例でありました。まだ卒後2年目の私にはとても手に負える症例ではないため先生に手術をお願いいたしました。その手術は絹糸と軟鋼線を用いた腱板と各々の骨折片の骨縫合による整復位固定の手術であり、バラバラになった骨折片があっという間にジグソーパズルを組み立てるがごとくの完璧な手術で今でもその感動は鮮明に覚えております。先生は手術が大変お上手で、私のみならず医局員全てのお手本となる才能の持ち主であられ、いかなる手術も迅速かつ完璧にせられ、凡人なる私には到底及ぶどころか、今でも先生の手術を越える先生にはお会い出来ておりません。本当にありがとうございました。
先生は昭和10年に新潟小千谷市に開業医の御子息として誕生され、高校では新潟のスキージャンプの国体選手として活躍されたとお聞きし、スポーツに学問に万能であられました。当時のインターン終了後、昭和35年に入局されましたが、当時、教室で開設しておりました石打丸山スキー診療所(季節診療所)でのスキー外傷の治療、研究、予防に大変尽力されました。肩関節においては、スキー外傷で頻発する肩関節脱臼の治療、研究が教室のテーマでありました。故片桐知雄先生から藤巻先生の発案でペロッテ付クラビクラルバンド固定法が完成したとお聞きしております。この固定法は従来の下垂位内旋内転固定法では脱臼の再発率が高いこととCapsular detachment typeの固定法としては剥離・転位し緩んだ前方関節唇は整復位をとれないことから、むしろ無理に内旋、内転位とせずにペロッテの付いたバンドで同部を圧迫した方が理にかなっていると発案されたとのことです。後に片桐らにより肩関節研究会でその成績が発表されました。この発想は後の外旋位固定法につながる固定法であったものと思います。
平成8年10月に第25回の日本肩関節学会を無事盛大に終了し、平成12年3月に定年退職直後に病に倒れられ懸命の治療をするもかなわず翌年の11月にご逝去されました。享年67歳と余りにも早く逝かれてしまいましたが、今でも私の中では“一生涯の師”として生き続けています。先生、永年のご指導、誠に有り難うございました。今、改めて哀心より感謝申し上げます。
藤巻悦夫
生年月日 昭和10年(1935)3月10日生
物故年月日 平成13年(2001)11月24日没 享年67歳
幹事就任年 昭和60年(1985)9月就任
- 藤巻悦夫先生