日本肩関節学会50年史

藤本憲司先生

物故年月日:平成21年3月26日(享年94歳)
幹事就任年:1977年
名誉会員就任年:1989年

藤本先生は昭和14年に東京帝国大学医学部を卒業され、同大整形外科に入局されました。昭和 18 年には応召され陸軍病院勤務、終戦後に東京帝国大学に復帰されましたが、昭和22年に東北大学整形外科に移り、助教授を経て、昭和31年7月に信州大学整形外科の初代教授に就任され、昭和55年3月に退官されました。この間に様々な分野において多大な功績を残されましたが、昭和46年には第44回日本整形外科学会総会会長を務められました。昭和50年から54年まで、日本整形外科学会筋拘縮委員会の委員長として、この疾患の原因が、小児の大腿四頭筋や三角筋への筋肉内注射であることを明らかにされましたことは、本症の根絶へ向けての契機となり、またその治療方針についても示されました。

信州大学整形外科においては、藤本先生が反復性肩関節前方脱臼に対するBristow法の第一例を執刀されました。出血のコントロールもままならない当時において手術は困難を極めたようですが、スタッフで力をあわせて無事に手術を終えたと伝え聞いており、今から思えばこれが信州大学肩関節外科の嚆矢であったと思います。 1994年、山梨県甲府市における、久津間智允会長による第21回日本肩関節学会おいては、信州大学整形外科一門を挙げて開催させていただきましたが、その際も藤本先生には強力なご支援を賜り、「信州大学肩関節外科の父」と呼ばせていただきたく思います。

(文責 神平雅司)

  • 1987年5月 勲三等旭日中綬章を受章
  • 教授室にて
  • 信州大学整形外科は5名でスタート。
    このなかに整形外科教授経験者が3名おられます。

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