去る令和2年3月4日に京都府立医科大学名誉教授、日本肩関節学会名誉会員の平澤泰介先生がご逝去され、われわれは大きな悲しみと喪失感に包まれました。享年82歳でした。先生は、令和2年初めに突然体調を崩され、1か月半におよぶ闘病生活の末、力尽きてお亡くなりになりました。それまで非常にご清明でお元気な先生であっただけに残念でなりません。
先生は昭和12年に、宮沢賢治の生誕の地として有名な岩手県花巻市にお生まれになり、昭和38年に京都府立医科大学を卒業されました。 横須賀の米国海軍病院でシニアインターンをつとめた後、カリフォルニア大学で末梢神経とリウマチの研修を受けられました。帰国後もリウマチ協会のトラベリングフェローとしてハーバード大学で関節外科を学び、さらにレントゲン教授が教鞭をとっていた西ドイツのヴュルツブルグ大学で外傷学の客員教授を務められました。特にライフワークの研究は「末梢神経の損傷と再生」で、臨床に直接結びつく基礎研究に特に力を入れられました。
平成元年に京都府立医科大学の整形外科教授となられてからは、特に海外交流を推し進められ、欧米の7つの大学や施設に多くの留学生を送り出されました。帰国した医師は海外の経験を活かして教室のレベルアップに貢献するとともに対外的なアピールにも繋げることができました。アメリカ整形外科基礎学会(ORS)での採用演題は2桁になる年もあったことから、アドバイザリーボードに日本人として初めて選出され、6年間活躍されました。
日本肩関節学会では監事、高岸直人賞決定委員などを務められ、平成9年に京都で初めて第24回日本肩関節学会を主宰されました(写真1)。当時の主題は「関節唇損傷の診断-SLAP lesionについて」、「反復性肩関節脱臼の手術療法-関節鏡視下 vs 直視下手術」、「腱板障害のリハビリテーション」で、海外からはアメリカからProf. Woo、ドイツからProf. Imhoff(写真2)、 オーストラリアからProf. Skirving、中国からProf. Huang、フランスからDr. Gaziellyを招待し、国際色豊かな学術集会となりました。開催にあたって肩関節班の一員としてお手伝いできたことを懐かしく、光栄に存じております(写真3)。
その後も平成12年には第43回日本手の外科学会、第15回日本整形外科学会基礎学術集会などをはじめとして多数の学会を盛会裡に終えられ、臨床と研究の両面で国内外問わず高い評価を受けられました。
それまでに整備されていた専門クリニックに加え、今でこそ社会的に注目されるようになった骨粗鬆症の専門クリニックを創設されたばかりか、整形外科学につながりのあるリハビリテーション医学にも注力され、平成2年からリハビリテーション部の部長、平成7年に脳・血管老化研究センター教授、さらに平成12年からがんの集学的治療を目指した新しい部門である化学療法部の部長も兼任されました。
先生は常々「整形外科は臨床の学問である。研究は臨床につながるものでなければならない」と橋渡し研究の重要性を説いておられました。その信念は今も教室の伝統として受け継がれております。時には厳しくご指導いただいた中に先生の心の奥底にあるやさしさと温かさに触れることができたのは、われわれの無形の財産であります。先生のご功績に敬意を表しますとともに、これまでのご薫陶に心より謝意を申し上げます。謹んで哀悼の意を表し、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
令和5年11月
済生会吹田病院整形外科担当顧問
黒川正夫
- 写真1)1997年11月1日、第24回日本肩関節学会で閉会のご挨拶をされる平澤泰介先生
- 写真2)第24回日本肩関節学会でProf. Andreas B. Imhoffと歓談される
- 写真3)平澤泰介先生を囲む当時の肩班のメンバー