村 成幸
故荻野利彦先生は、2015年4月末に急に体調を崩され、それから3週間後の5月22日、68歳という若さで急逝されました。
荻野利彦先生は、1946年の静岡ご出身で、1971年に北海道大学医学部を卒業し、北大整形外科に入局しました。上肢を専門とされ、1981年のウィーン大学、1982年のハンブルグ大学留学後、1989年に北大整形外科の助教授になられ、1990年に札幌医大理学療法学科教授として赴任し、1996年9月から山形大学整形外科学教室第2代教授として着任しました。上肢の診療・研究では国際的にも名高い荻野先生でしたが、肩関節の分野でも2000年から日本肩関節学会幹事(現代議員)としてご活躍になりました。2011年山形大学をご退官され、その後は札幌の北新東病院を中心に診療されていました。
肩甲上神経麻痺の治療において先駆的な研究を行っており、2001年第100回北海道整形災害外科学会で「肩周辺における末梢神経障害」を講演しました。また荻野先生の指導の下、1998年日本肩関節学会第12回髙岸直人賞「腱板広範囲断裂に対する一次修復の可否は予測可能か?」、 2006年第32回日本整形外科スポーツ医学会優秀論文賞「中学・高校生競泳選手の肩関節痛」を受賞しております。そして会長として2009年第36回日本肩関節学会学術集会を主催され、ご友人でもあるHelsinkiのMartti Vastamäki、Mayo ClinicのKai-Nan An、それまで日本の学会で講演されたことのないZurichのChristian Gerberを講師として招待しました。主題の中の「小児の肩関節疾患」「肩関節周囲の末梢神経障害」は荻野カラーが出たテーマでした。第50回手の外科学会、第23回肘関節学会と上肢3学会を主催され、上肢機能の中の肩関節機能ということを常に考えていた先生でした。
荻野先生は、山形大学に赴任した時のメモに、1.教育・診療・研究のバランス、2.外に誇れる研究分野を増やす、3.教育のサービス(サービスの心を持って教育するという意味です)、4.卒後教育:一般性と専門性、5.国際的に通用する整形外科、6.家族性(入局した人に良い思いをさせる)、7.既存の行事を続ける、と書かれ、明るく楽しい整形外科を目指して、山形大学整形外科を育んできました。
荻野先生からは整形外科学だけではなく、医師として、科学者として、それ以前に人間としてどうあるべきか、何を考えるべきか、を教えて頂きました。患者さんのこと、研究、発表、論文のこと、悩んだあげくに荻野先生に相談に行くといつも暗雲の中に光りが差し込んだような感じがしていました。荻野利彦先生の業績と教育は生き続けます。