済生会長崎病院
衛藤正雄
鈴木良平先生は1922年9月16日、茨城県水戸市にお生まれになり、1947年9月東京大学医学部を卒業され、1949年6月東京大学医学部整形外科 助手、1956年6月同講師になられました。
1959年4月東京医科歯科大学整形外科 助教授になられ、同時に医学博士の学位を授与されています。1960年11月福島県立医科大学整形外科 教授になられ、1971年2月 長崎大学医学部整形外科第2代教授になられました。
1983年7月第22回先天性股関節研究会 会長、1983年10月第10回日本肩関節研究会 会長、1986年6月第23回日本リハビリテーション医学会 会長などを歴任されています。
1988年3月長崎大学医学部をご退官され、1988年4月日本整形外科学会名誉会員、5月長崎大学名誉教授になられています。
2004年9月5日ご逝去され、享年81歳でした。
鈴木先生は先天性股関節脱臼、足関節疾患や肩関節疾患などをご専門にされていました。肩関節関係の論文には「肩関節を中心とする運動学. 災害医学,16:1973」、「動揺性肩関節に対する大胸筋移行術.日整会誌, 52: 1978」、「動揺性肩関節と大胸筋移行術. 臨床整形外科, 16: 1981」、「Pectoralis major muscle transfer for the treatment of shoulder joint instability. 肩関節. 11: 1987」など大胸筋移行術に関する論文が多かったようです。整形外科教室員には肩の筋電図やバイオメカニズムなどの研究で多くの博士号論文を取得させておられます。
1983年10月1日(土)、2日(日)に鈴木良平会長のもと長崎市の長崎大学医学部記念講堂で第10回肩関節研究会が開催されました。主題は「胸鎖関節疾患」で、2日間で48演題の発表でした。
鈴木先生はたくさんご執筆されていますが、「足跡」という随筆を書かれておられ、そのまえがきをかかせていただきます。「17年に及ぶ長崎大学整形外科での勤務もやがて終わらんとしている。1948年東大整形外科に入局して、整形外科としての一歩を踏み出してから、いつの間にか40年という歳月が過ぎてしまった。この40年間は、敗戦によって徹底的に打ちのめされた戦後の混乱期から、ついに経済大国にまで発展した日本の成長の時代に相当するわけである。その前には、さらに生死の境をさまよった、私のみじめな学生生活がある。長崎大学を退職するに当って、このような時代を背景として歩んできた、私の足跡を残しておきたいと思って、この悪文を草してみた。考えてみれば、私は良き師、先輩、同僚、後輩に恵まれ、戦争というきわめて困難な時期を経験したにもかかわらず、幸福な人生を歩んで来られた。そして平和の有難さを身にしみて感じている昨今である。今後も恒久平和と人類の幸福を目指して、ささやかな努力を続けたいと思う。以下の駄文を通して、私という人間を少しでも理解していただき、とくに若い人たちに何らかの参考になれば幸いである。 1988年3月、鈴木良平」
- 鈴木良平先生