済生会新潟第二病院 整形外科
塩崎浩之
物故年月日:2003年3月9日
生年:1923年(大正12年)
幹事就任年:1977年
名誉会員就任年:1989年
田島達也先生は、昭和22年に新潟医科大学を卒業し、昭和27年から2年間米国で手の外科を中心に研鑽を積みました。帰国後は精力的に活動し、日本のみならず世界的な手の外科・マイクロサージャリーのリーダーとして活躍されました。昭和45年から平成元年まで新潟大学整形外科学教室の第4代教授として教室の発展に貢献し、この間に第15回手の外科学会(昭和47年)、第16回形成外科学会(昭和48年)、第3回国際手の外科学会(昭和61年)、第60回日本整形外科学会学術集会(昭和62年)、第1回日本肘関節研究会(平成元年)などを主催しました。
私は昭和61年に入局し田島門下生の末席に加えていただきましたが、田島先生といえば「手の外科」のイメージが強く、田島先生が日本肩関節学会に所属していること、1977年に幹事就任、1989年に最初の名誉会員のお一人に就任されていることを知る教室員は少ないのではないかと思います(私の勘違いかも知れませんが)。当時の田島先生は教室員の誰よりも早く病院に来られ、誰よりも遅くまで教授室にこもって仕事をしているというスーパーマンのような方でした。私も昭和62年の日整会のテーマ「分化と統合」に触れ、整形外科学の幅広さと奥行きの深さを実感したことを覚えています。
その後、私が平成4年に東海大学福田宏明教授のもとに国内留学した際に、恐れ多くも田島先生に質問状を差し上げたことがあります。直ちに「新潟整形外科教室で・・(中略)・・無論この領域の専門家がいるほうが望ましいことは言うまでもありません。・・(中略)・・私自身も肩関節外科学会でなにも纏まった発表はしておりませんが常に関心を持って学会に出席してきました。」とのお返事を頂戴いたしました。田島先生は専門分化した手の機能を中心に考えながらも肩・肘を含む上肢全体の機能を統合的に捉えており、肩関節に対する興味も尽きなかったものと思われます。学会場で丁寧に質問するお姿が思い起こされます。
- 田島達也先生
- 田島達也先生