日本肩関節学会50年史

山本龍二名誉会員

昭和大学藤が丘病院整形外科
筒井廣明・西中直也

山本龍二先生は、1956年に東京慈恵会医科大学を卒業され、東京中央鉄道病院でインターンを行われ、ドイツや香港に留学し、東京慈恵会医科大学では、脊椎カリエスをテーマに仕事をされていました。

日本で結核の患者が減少してきた時期でもあり、義父である片山良亮教授から「日本では肩関節を研究している人が少ないので、肩を専門にすればこれからは大いに将来性がある」と言われ、それがきっかけで1966年からの東急病院勤務では肩関節を専門にするようになられたようです。

インターンを一緒に行った黒木良克先生の誘いと、恩師片山良亮先生の勧めもあり、1976年4月に開院半年の昭和大学藤が丘病院に勤務されることになりました。

肩関節研究会のデビューは1975年10月の第2回肩関節研究会での、「腱板損傷に対する手術経験」です。1978年に日本の肩関節外科の先駆者の先生方7名でアメリカを訪れ、その後の日本肩関節研究会の発展に多大なる影響を与えられました。

1982年10月には第9回日本肩関節研究会の会長をされ、特別講演には東京逓信病院の池内宏先生に「肩関節の関節鏡視」を講演いただくなど、新しいことへの挑戦も進んで行われました。

1986年10月には高岸直人先生が会長をされた第3回のInternational Conference on Surgery of the Shoulder(ICSS)では副会長をされ、また、1995年10月には尾崎二郎先生と共に第4回日本・スカンジナビア肩関節学会の会長をなされました。

反復性肩関節脱臼をライフワークとされ、フランスのOudard先生の開発した烏口突起延長術を、慶應大学の岩原寅猪先生が改良を加え、さらに山本先生が改良されたOudard-Iwahara-Yamamoto変法と命名され、600例を超える症例に行なわれました。烏口突起が展開できれば十分手術が出来るという簡単な方法で、簡単な故に「なぜ脱臼に有効なのか」という批判も多かったのですが、優れた臨床成績を残されました。

肩関節のメンバーでは特に信原克哉先生と仲が良く、信原先生が行っていた「肩を寄せ合う会」がとてもよかったようで、関東にもそのように「とことんディスカッションできる会」を作りたいと言われ、1993年に1泊2日の徹底討論会である「関東肩を語る会」を立ち上げられました。

2015年1月17日の第23回関東肩を語る会にも出席され、その年の12月19日にご逝去されました。

東京慈恵会医科大学から昭和大学藤が丘病院に赴任され、いろいろとご苦労されていましたが、関東肩を語る会など、大学の垣根を超えた人々の交流を温かく見つめられ、多くの肩関節外科医を育てていただいたこと、感謝してもしきれません。

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