リバース型人工肩関節の本邦への導入
高岸憲二
日本ではすべての医療用機器ならびに薬剤を使用するためには先ず独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)にて審査を受ける規則になっており、審査には日本での治験が義務付けられている。リバース型人工肩関節は整形外科領域では治験を行わずに使用認可を受けたわが国最初の機器であり、リバース型人工肩関節の本邦への導入には日本整形外科学会および日本肩関節学会が重要な役割を果たした。
リバース型人工肩関節(RSA)が認可されるまで本邦で主に使用されていた肩の人工関節は上腕骨頭を解剖学的に置換する解剖学的人工肩関節(TSA)のみであったため、関節面の破壊を伴った腱板機能不全症例に対して人工肩関節を施行しても治療成績不良であり、人工肩関節の使用頻度は限られていた。1980 年代にフランスで腱板機能の障害を伴う関節が破壊された症例に対して使用出来る人工肩関節として開発されたRSAは、改良が重ねられ、2010年代には術後 10 年で 90%以上の症例にて安定した成績が得られたと報告されている。RSAの使用は欧米だけでなく、アジア地区でも既に韓国(2006年)や中国(2008年)などでも開始されていた。日本肩関節学会はRSAの早期承認を求める要望書を厚生労働省医薬食品局審査管理課医療機器審査管理室宛に提出したが、受理されなかった。当時Tornier社ならびにZimmer社がRSAの国内での使用をPMDAに申請していた。高岸はPMDA専門委員としてその審査にも参加した。RSAはTSAとコンセプトおよび形状が異なることから新規機材とみなされて、他の新規機材と同様に安全性などの調査のために国内での治験を施行するか、もしくは海外で行われた国内治験と同等の臨床データの提出を求められていたが、両社ともに治験を実施せず、条件を満たすだけのデータの提出もできずに申請は却下された。
そんな折、日本整形外科学会学術総会前日に行われた代議員総会にて代議員より本邦でRSAの早急使用に向けて日本整形外科学会が厚生労働省に働きかけて欲しいとの発言があった。その後、当時の岩本幸英日本整形外科学会理事長(写真1)より高岸に電話があった。内容は、「代議員会の発言を受けて岩本理事長が厚生労働省関係者とRSA認可について直接話し合った。厚生労働省から『新規材料申請のためにそれまでは必須としてきたわが国での臨床治験の代わりに日本整形外科学会がRSA使用に関してガイドラインを作成することで例外として申請を認める。』との方針が岩本理事長に伝えられた。それを受けて日本整形外科学会内にRSA使用の申請に関する新規ワーキンググループを立ち上げる。グループの構成メンバーとしていくつかの学会が候補に挙がったが、最終的に日本肩関節学会が選出した委員の就任を考えている。」であった。本件について日本肩関節学会理事会で討議され、ワーキンググループに日本肩関節学会から委員を選出することが決定された。松末吉隆理事(写真2)が担当する日本整形外科学会インプラント委員会内にリバース型人工肩関節ガイドライン策定委員会が新設され、日本肩関節学会から選出された末永直樹先生、菅谷啓之先生、中川泰彰先生、米田 稔先生と高岸憲二(委員長)が委員として参画した(写真3)。委員会内では過去のRSAに関する論文調査を行い、face to faceの会議およびメールのやり取りを行うとともに高岸はPMDA職員に相談しながら慎重にガイドラインを作成していった。岩本理事長からは「RSA置換術について重大な問題が起こっている症例が海外で発生しているにもかかわらず、学会ではほとんど報告されていないと海外の整形外科医から聞かされている。日本ではそのような事象が起こらないようにガイドライン作成には、十分に注意して欲しい。」と高岸に伝えられた(写真4)。その当時、群馬大学整形外科学教室内に日本肩関節学会事務局があり、各委員から集まったデータ整理やRSAに関する多くの論文をまとめるために日本肩関節学会事務局付き代議員をしていた故小林 勉先生を中心に山本敦史先生、設楽 仁先生、一ノ瀬 剛先生ら群馬大学整形外科学教室上肢班の医師が数多く手伝ってくれた(写真5)。先に述べたが、治験を行わずに認可される最初の手術機器であり、前例がないことからすべてワーキンググループで考え、決定する必要があった。講習会を受ける受講資格に関しては、日本整形外科学会専門医であり、上腕骨近位人工骨頭もしくは人工肩関節置換術を10例以上、腱板断裂手術を50例以上経験しているものとした。術者の条件として日本整形外科学会が認定した講習会(ワークショップを含む)を必ず受講すること。更にRSAが採用されたのち少なくとも5年間は、本邦での使用を許可された全ての認可された機種において全症例の登録を義務付けるとの文言が入った。ワーキンググループで作成されたRSA置換術ガイドライン案は、2013年5月の日本整形外科学会理事会にて承認され(添付資料1(PDF))、PMDAへ提出された。その後、厚生労働省の「新医療機器の承認に必須の審議会である「薬事・食品衛生審議会医療機器・体外診断薬部会」で諮られることになった。このRSAは治験なくして認可される最初の機器であることから高岸はPMDA職員とともに審議会に出席してリバース型人工肩関節置換術の必要性について説明した。いくつかの質問に答えた後、最後に委員の一人から「RSA置換術の認可が他の先進国では認可されているにもかかわらず、日本でこんなに遅くなった理由を教えて欲しい。」との質問が出たことが印象に残っている。「業者が治験を行わなかったためと考えます。この人工関節を認めていただけると多くの肩関節機能障害患者を機能障害から解放できますので是非とも認可していただきたい。」と答えた。審議後にRSAは認可された。
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写真1)岩本幸英先生
当時日本整形外科学会理事長であった岩本先生が厚生労働省役人と話し合われたことで本邦におけるリバース型人工肩関節が認可される道が開けた。 -
写真2)松末吉隆先生
日本整形外科学会インプラント委員会担当理事としてガイドライン作成に参加され、日整会理事会との橋渡し役を務められた。
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写真3)末永直樹先生、菅谷啓之先生、中川泰彰先生、米田稔先生、高岸憲二
ガイドライン作成のために肩関節学会から5名が選出された。
- 写真4)岩本先生と 岩本先生にはアドバイスをいただいた。
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写真5)左2人目より山本敦史先生、故小林 勉先生(当時日本肩関節学会事務局長)、高岸、設楽仁先生
過去発表された多くのリバース型人工肩関節に関する論文をまとめてくれるとともに私の右肩ARCR施行(2013年12月)
会議後にこのガイドラインを遵守してRSA手術を安全に施行することができれば、「今後臨床各科が手術機器を学会主導で申請する道筋が確立される」と認識し、身が引き締まる思いがした。
当初、ガイドラインに記載された『5年間にわたるRSA全症例登録』システムの構築が問題となった。肩関節学会内で討議して、学会内で登録事業を開始することはノウハウやマンパワーの問題があり、困難であった。既に人工膝関節置換術および人工股関節置換術の術後登録を行っていた日本人工関節学会人工関節登録事務局に依頼することになった。沖縄で行われた第44回日本人工関節学会会期中、日本人工関節登録制度運営委員会アドバイザー中村孝志先生(現京都大学名誉教授)(写真6)および委員長秋山治彦先生(岐阜大学教授)(写真7)とお会いして人工関節登録事務局におけるRSA登録について相談したところ、人工関節登録事務局で快くRSAの登録を行うことを承諾していただいた。登録を開始するためにはまずは人工関節登録事務局からの指示でRSAが行われるすべての病院を登録する必要があり、その形式を整えるために群馬大学病院で施設認定制度のIRBを通してそれを基にして各病院が申請することになった。また、登録フォーム(PDF)も作成した。
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写真6)中村孝志先生
人工関節登録委員会委員長・後にアドバイザーとして各種人工関節登録をとりまとめられるとともにリバース型人工関節置換術の登録に尽力された。 -
写真7)秋山治彦先生
人工関節登録委員会委員長として登録研究開始前IRB登録、病院登録、登録フォーム作成など実際の登録方法についてアドバイスされ、登録開始後は登録委員会から見たRSA使用状況について客観的な意見を多くいただいた。
2014年4月にRSAの使用が始まった。日本整形外科学会は作成されたガイドラインに沿って安全にRSA置換術の施行が遵守されていることを管理する必要があり、日本肩関節学会内にリバース型人工肩関節運用委員会(高岸委員長)ができ、菅谷先生、中川先生、米田先生に池上博泰先生(写真8)および山本敦史先生(写真8)が加わって登録制度に関する業務を代行していった。4月5日に日本整形外科学会倫理委員会から『リバース型人工関節の登録』の臨床研究が承認され、臨床研究責任医師または臨床研究分担者は所属する医療機関の倫理審査が必要とのことで5月7日に『リバース型人工肩関節の登録』を群馬大学医学部疫学研究に倫理審査申請書を提出した後に承認を得て、人工関節学会ホームページに掲載された。同年6月19日に秋山先生より「日本人工関節学会のホームページが先週末に更新された。RSAの登録が開始可能になったので、肩関節学会会員への周知依頼のメールを受けた。人工関節登録事務局は京都大学整形外科内にあり、登録システムが動き始めると京都大学出身の中川委員からいろいろ情報をいただくことができた。
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写真8)池上博泰先生、山本敦史先生
厚生労働省の承認後にリバース型人工肩関節運用委員会が発足し、米田先生、中川先生および菅谷先生以外に池上博泰先生と山本敦史先生(当時の日本肩関節学会事務局長)が委員として加わった。
受講者は専門医であることが条件であったのでRSA機器が認可された各メーカーには講習会開始前には必ずリバース型人工肩関節運用委員会への連絡および受講者名簿の委員会への提出をお願いした。高岸は送られてきた名簿を日本整形外科学会事務局に送付して各受講者が専門医であるかについて確認をお願いした。講習会では実技実習の前に運用委員会の委員が講師としてガイドラインについて説明することを義務付けた。2014年10月にリバース型人工肩関節運用委員会担当理事が高岸より井樋栄二先生(写真9)へ交代した。
- 写真9)井樋栄二先生
日本人工関節登録制度事務局が作成した人工関節登録調査 2014年度報告書によるとRSA使用初年度である2014年度のRSAの登録件数は657例であった(図1)。2015年7月時点では1238例のRSAが施行され、登録は685例(登録率は55%で)あった。その後も登録率はさほど上昇せずに、登録率を改善させる必要があった。委員会ではメーカーからデータを収集し、個々の医師の登録率を調べ、登録率の低いドクターに警告を与えることなどが決定され、メールで登録を促した。また、図2に示したように日本人工関節登録制度事務局から50歳代以下の患者の手術施行例があることにガイドラインを遵守していないのではと疑問を投げかけられた(図2)。ガイドライン遵守の依頼も全受講者あてに数度周知した。5年後の全例登録の準備をするために高岸は2016年10月肩学会代議員を終了するまで定期的に各メーカーから高岸のもとに各施設でのRSA施行数の報告を依頼し、術者の名前および病院名を伏せて運用委員会や代議員会で報告するとともに日本整形外科学会理事会へ講習会開催内容、RSA施行件数ならびに登録率などについて報告した。
- 図1)人工関節登録調査 2014年度報告書より
- 図2)人工関節登録調査 2014年度報告書より
その後の リバース型人工関節の登録状況は 日本人工関節登録制度事務局より毎年報告されている。認可より4年経過した2018年3月末までのリバース人工関節の総手術件数は販売5社の資料によると5966件であり、人工関節登録制度委員会への報告件数は3844件であり、登録率は64.4%であった。最初に作成されたガイドラインは実際の臨床使用に合わせて2018年末までに3度の改正が行われている。リバース型人工肩関節運用委員会は術者が適応や年齢などによりRSA使用基準から逸脱しているが、RSA以外によい方法がないと考える症例についてはリバース型人工肩関節運用委員会へ相談するシステムを立ち上げ、会員からの相談を受けている。
2019年1月に日本整形外科学会に日本骨折治療学会よりガイドライン(実施医基準)の変更の要望があり、それ以後は日本整形外科学会リバース型人工肩関節適正使用基準検討作業部会がリバース型人工肩関節ガイドラインを改定している。
RSA術後合併症の発生頻度は海外の報告に比べて本邦での報告は少ない。また、RSAに関して大きな医療過誤が本邦で起こったとの報告も渉猟し得た限りではない。これは日本肩関節学会より選出された委員で構成された日本整形外科学会のワーキンググループが最初に作成した使用基準(ガイドライン)が優れており、会員がそれを遵守したことの証である。