日本肩関節学会50年史

日本肩関節学会の法人化について

初代理事長
井樋栄二

学術団体法人化の背景

日本肩関節学会は1974年に「肩関節研究会」という任意団体として生まれ、同年徳島市で遠藤寿男会長のもと第1回の学術集会が開催されました。1991年の第18回から「日本肩関節学会」と改称され、現在に至っています。任意団体は法的な縛りがなく運営しやすいという利点がありますが、一方で通帳や資産管理は個人名義となり、社会的信用も低いという欠点があります。例えば代表する個人が急に亡くなったりすると資産が凍結され使えなくなるなどの不都合が起こり得ます。学会が任意団体ではなく法人格を持つと、学会名で資産管理などの法律行為が行える、社会的信用が増す、学会の発言力が強まる、などの利点がありますが、管轄官庁である文部科学省の厳しい認証を得る必要があり、この手続が煩雑なため法人格を取得した学会は規模の大きい主要学会に限られていました。しかし日本専門医機構の前身である日本専門医制評価認定機構が2003年に設立され、その入会要件の一つに学会の法人格取得があったため、これを契機に学術団体全体が法人化へ動き出しました。さらに2008年12月に「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律」が制定されたことで法人化の手続が大幅に簡略化され、管轄官庁の認証を得ることなく新たな法人を作ることができるようになりました。そしてこれまでの社団法人という法人格はなくなり、新たに一般社団法人と公益社団法人の2つが創設されました。一般社団法人は普通型(営利目的)と非営利型に分けられ、非営利型一般社団法人はNPO法人とほぼ同等の税制優遇措置を受けられ、かつNPO法人と違って管轄官庁の認証を得る必要がないため、多くの学会が非営利型一般社団法人へ移行あるいは新たに取得することとなりました。日本外科学会は2010年に社団法人から一般社団法人に、日本整形外科学会は2011年に社団法人から公益社団法人に、日本内科学会は2013年に社団法人から一般社団法人に移行しています。

日本学術会議も学会法人化に関わっています。2008年12月の法改正に先立って、同年5月に日本学術会議から「新公益法人制度における学術団体の在り方」という提言が出され、学術団体に特化した法人「学術法人」の設立を提言しています。残念ながらこの提言は採用されなかったため、学術団体の多くは一般社団法人格を取得することになりました。日本学術会議は2013年3月に「新公益法人法への対応及び学協会の機能強化のための学術団体調査結果」を報告し、その中で、法人格を取得していない学術団体に対して、可及的速やかに法人格を取得することを勧めており、これが法人化の流れをさらに加速することになりました。

日本肩関節学会内での組織改革議論の始まり

全国の学会の法人化の流れを受けて、日本肩関節学会内でも学会の活性化を目指して幹事制度の改革が必要ではないかという声が聞かれるようになってきました。2005年に日本肩関節学会は学会法人化を主導してきた日本学術会議と連携・協力関係をもつため、学会内に学会制度改革会議(伊藤博元議長)を設置し、2005年10月26日に日本学術会議協力学術研究団体に認定されました。この年の学会長であった黒田重史先生が役員の意識調査の目的で、2005年1月にアンケートを行いました。その内容は組織改革が必要か、必要ならどのような形にするのが望ましいかということです。その結果、どういう制度にせよ8割近い役員が組織改革の必要性を認めていました(名誉会員・監事の79%、幹事の78%)。とくに幹事の定数をもっと増やすべきという意見が多く、そのために理事・評議員制度に移行する必要があれば止むを得ないという意見が多くみられました(名誉会員・監事の36%、幹事の53%)。そこで黒田会長はまず役員会において幹事の定数や選出法を検討してはどうかと提案しました。しかしアンケート結果に基づいて組織改革へ向けさらなる議論を進めることについてはもう一度役員に確認すべきという意見が出され、同年5月に2回目のアンケートを行いました。このアンケートは組織改変を役員会の議題として取り上げることの賛否を問うもので、賛成の場合には幹事制度を継続するか、理事・評議員制度へ移行するかの選択も聞きました。その結果、議題に取り上げることは88%が賛成しましたが、組織改革の内容としては幹事制度の維持が61%、理事・評議員制度への移行は17%となりました。この結果から幹事制度のままで定員を増やすことを希望していた役員の多いことが分かります。2回のアンケートの結果が逆転した理由として、設問内容や方法が変わったこと、役員自身の考えがまだ流動的だったこと、などが考えられます。いずれ検討を続ける必要があるということで、翌2006年の役員会で学会の在り方を議論するために「学会制度検討委員会」が設置されました(小川清久委員長、ほか委員9名、オブザーバー2名)。この委員会は前年に設置された学会制度改革会議の内容をそのまま引き継ぐ委員会なので、委員も改革会議のメンバーがそのまま引き継ぐことになりました。

理事・評議員制度への移行

これまでのアンケート結果を踏まえ、学会制度検討委員会において、すでに理事・評議員制度を導入している学会への聞き取り調査などを行い、幹事制度、理事・評議員制度の利点と欠点を整理してもらうことになりました。そして2009年10月8日の役員会において学会制度検討委員会の小川清久委員長から以下のような報告がありました。幹事制度の利点は幹事の定数が少なく設定されているため活発な意見交換がしやすいこと(会則では幹事の定数は若干名)です。ただし幹事の停滞が起こりやすく、物事を決めるのに時間がかかりすぎる、また会長が1年ごとに変わるため学会としての継続性に欠けるなどの欠点があります。一方、理事・評議員制度の利点は評議員として若い人材をより多く登用できますが、評議員の定数が多いため自由闊達な議論がしにくく、評議員会が形骸化するおそれがある、少数の理事の意見に左右されやすいなどの欠点が挙げられました。その後無記名投票が行われ、理事・評議員制度へ移行することが賛成多数で承認されました(理事・評議員制度22票、幹事制度5票)。そして次期会長(熊谷純会長)のもとで理事・評議員制度に移行するための具体的な検討に着手するための「理事・評議員制度検討委員会」を設置することになりました。学会制度検討委員会はこれをもってその役目を終了し解散となりました。

2010年10月7日の役員会、そして翌日の総会で理事・評議員制度検討委員会の森澤佳三委員長から提出された新会則案が承認されました。今後、この新会則案に不備があればそれを修正する「会則等検討委員会」を設置することが決まり、2011年の次期総会での理事・評議員制度への移行を目指すことになりました。2010年12月26日 第一回の会則等検討委員会(森澤佳三委員長ほか委員5名、オブザーバー2名)が開催され、今後の進め方として会則案を2011年1月10日から2月10日までの1ヶ月、学会のホームページ上で公示、会員からのパブリックコメントをもとに会則等検討委員会において会則の修正案作成、5月の日整会時に臨時役員会を開催し会則案を承認、6月に役員選挙立候補者の公示、10月に役員選挙、という日程が決まりました。

しかし、2011年3月11日に東日本大震災が発災し、その後の救助・復旧・復興活動のため、上記の予定で進めることが困難になりました。5月25日に柴田陽三会長名で「日整会総会がWeb開催となり、臨時役員会も開催できず、会則(案)に規定してある6月1日〜30日の間に役員立候補者の公示、10月の役員選挙が実現不可能になったため、理事・評議員制度の移行を1年延期せざるを得ないとの結論に至った。」という内容の一斉メールが学会員へ送信されました。

2011年10月7日の学会総会で日本肩関節学会会則(理事長1名、副理事長1~2名、理事全体で8~10名)、役員選挙規則、評議員選挙規則(この時点での幹事を評議員とする、正会員の4%以内)などが承認され、即日施行されました。この10月7日をもってこれまでの幹事30名(井手淳二、井樋栄二、岩堀裕介、衛藤正雄、岡村健司、尾崎二郎、熊谷純、黒川正夫、佐野博高、柴田陽三、末永直樹、菅本一臣、菅谷啓之、杉本勝正、高岸憲二、玉井和哉、筒井廣明、中川照彦、中川泰彰、橋詰博行、畑幸彦、濱田一壽、原正文、福田公孝、丸山公、望月由、森澤佳三、森澤豊、山中芳、米田稔)は評議員となりました。

その後は1年遅れではありますが、2012年4月1日に役員選挙が公示され、6月1日−30日を理事立候補届出期間とし、10月4日に評議員会において9名の理事候補(井樋栄二、柴田陽三、末永直樹、菅本一臣、高岸憲二、玉井和哉、筒井廣明、畑幸彦、米田稔)全員が信任され、その後互選で初代理事長に井樋栄二が選任されました。また、新たに9名の評議員候補者の信任投票が行われ、9名全員が評議員に選出されました(相澤利武、池上博泰、伊崎輝昌、後藤昌史、高瀬勝己、名越充、橋口宏、林田賢治、船越忠直)。そして10月6日の学会総会において理事長、理事、新評議員9名が承認され、ここに正式に理事・評議員制度がスタートしました。副理事長は筒井廣明先生と玉井和哉先生にお願いしました。

法人化への道のり

新たな理事・評議員体制のもとで、法人化へ向け以下のように手続きを進めました。まず2012年10月6日の第1回理事会で法人化に向けた「定款等検討委員会」の新設が承認され、人選は柴田陽三理事に一任することになりました。2013年1月16の第1回定款等検討委員会(柴田陽三担当理事、中川泰彰委員長、ほか委員4名、オブザーバー1名)において、日本肩関節学会が法人化の条件(文部科学省が提示している法人化の規準:正会員が1000人以上、資産が2000万円以上)を満たしていることが確認され、以後、当時の会則を法人化に見合う定款に変更する作業が始まりました。2月6日の理事会では、法人化作業は専門性を必要とするため、これまでも適宜相談してきた柄澤徹公認会計士に、今後は正式に法人化業務を委託することにしました。柄澤氏は早速定款案を作成し、これが4月10日の第2回定款等検討委員会において提示されました。これをもとに委員会内で詳細を詰め、委員会案を作成しました。

2013年9月27日 総会において一般社団法人への法人化が承認されました。法人化に伴い、1)会計年度を「7月1日から6月30日まで」を「8月1日から7月31日まで」に変更する、2)新代議員の推薦人数を3名から2名に減らす、3)学術集会会長選挙を「2年後までを選出」から「3年後までを選出」へ変更する、の3点が承認されました。さらに2014年4月に定款案を公開し、パブリックコメントに基づく修正を加え、最終的な定款案が5月24日の臨時評議員会で承認され、法人化の準備が整いました。

2014年8月1日付けで法人登記を行い、日本肩関節学会は任意団体から一般社団法人に移行しました。法人格を有することにより社会的な団体として認知され、また法的にも守られることになりました。それに伴い、これまでの評議員は代議員となり、学会前日に行われていた評議員会が社員総会になりました。これが従来の総会(学会初日に開催)に代わる会であり、学会運営に関わる重要事項はすべてここで決定されることになりました。従来の総会に相当するものはなくなりますが、一般会員へ学会運営を直接お知らせする場がなくなるのは不都合なので、当面は任意団体時代の総会を「会員連絡会」という名称で学会初日に行うことになりました(2014年から2021年まで施行)。法人化に伴い事務作業量が格段に増えるため、群馬大学整形外科医局内に設置していた事務局を外部に委託することが決まり、2014年10月の社員総会で株式会社アイ・エス・エスに委託することが正式決定しました。

その後の歩み

以上のような経緯で法人化が完了し、その後、9年経った2023年9月現在、会員数は2363名となり、世界最古の肩学会としてますます成長を続けています。会員数の増加と委員会数の増加に伴い、代議員数が定款で「正会員の4%以内」に制限されるのは実情にそぐわないということで、2022年の総会において代議員数は「正会員の4%以上8%以内」と改定されました(現在、正会員数が1629名なので代議員数は65名以上130名以内)。今後も会員数の増加が見込まれるため、それに伴って代議員数も増やすことで、会員の意見が学会運営に十分反映されることを願っています。この度の法人化への移行作業では、とくにパブリックコメントから定款最終案作成までが短期間であったため、徹夜の作業をしていただいた中川泰彰委員長をはじめとする定款等検討委員会の皆さんに心から感謝申し上げます。