日本肩関節学会50年史

日本肩関節学会としての国際交流

小川清久、松村昇

日本肩関節学会と国際社会との付き合いは、個々人の交流は別にして、1978年に始まったと考えてよいでしょう。この年、日本肩関節学会(当時は研究会)からの正式の派遣ではありませんが、強烈な個性と持ち前の馬力で学会の創立と発展を担ってきた40歳代の5名(安達長夫、遠藤寿男、信原克哉、福田宏明、山本龍二)と鞄持ちの30歳代の2名(三笠元彦、小川清久)がアメリカの主だった6施設を訪れ(Menphis、Rochester、Chicago、Philadelphia、New York、Boston)、研究と臨床の実情を見ながら、講演を行いました(図1〜3)。この間、日本独自の研究成果に自信を得た一方、臨床面の量的劣勢を強烈に印象付けられました。この海外遠征でお世話になったアメリカ肩関節外科医の諸先生の多くが、その後の日本肩関節学会の招待講演者となっています(1979年CofieldとCalandruccio、1984年Neer、1987年Post)。

学会組織としての国際的活動は1983年の第2回ICSSからでした。このICSSの場で、日本肩関節学会が世界最初の肩関節専門学会であることが国際的に認知され、1986年の第3回ICSSを日本に招致することに成功しました。1989年には第4回ICSS(New York)と第1回Scandinavian-Japanese Shoulder Congress(Helsinki)が開催され、これを契機に国際間の交流が活発化しました。このため1991年に日本肩関節学会の国際交流の窓口として常設の国際委員会が設けられることになりました。さらに1992年のJSES創刊の窓口として非正規ですが日本編集委員会が組織され、水野耕作が編集長になりました。日本肩関節学会は1994年からSECECと、2007年からKSESと、2014年からASESと交換留学を行っています。

  • 図1)1978年訪米した7人(前列左から遠藤寿男、山本龍二、三笠元彦、後列左から信原克哉、一人置いて福田宏明、安達長夫、小川清久)、ボストンにて
  • 図2)最初に訪問したCampbell ClinicのCalandruccio教授との会食
  • 図3)最後に訪れたNew Yorkで、Neer教授と人工関節について語る

ICSS (International Conference/Congress on Surgery of the Shoulder) / ICSES (International Congress of Shoulder and Elbow Surgery)

(第5回まではConference、第6回からはCongress)
(第8回まではICSS、第9回からはICSES)

ICSSは1980年にLipmann KesselとIan BayleyがLondon大学の後援を得てイギリスLondonで創立・開催されました(図4)。出席者は主にヨーロッパと北米からの70余名で、日本からの出席者はいませんでした(図6)。この会では、現代肩関節外科の創始者と讃えられるErnest Amory Codman(1869-1940)を記念し、現在のCodman Lectureの嚆矢とも言える講演が”Codman- His influence on the development of shoulder surgery”と題してCarter R. Roweによってなされました。この会議の出席者、faculty membersのうちCarter R. RoweとAnthony F. DePalmaは、直接Codmanの声貌に接しています(図6〜8)。KesselとBayleyは、この会の成果を“We tried to gather together ‘everybody who was anybody’ in the world of shoulder surgery, and to a considerable extent we were successful beyond our most optimistic dream”と述べています。そのproceedingは日本でも販売され、格好の研究資料となると同時に肩関節専門の国際学会の存在を我々に知らしめる役割を果たしました(図9)。

  • 図4)Lipman Kessel会長
  • 図5)第1回ICSSの参加国
  • 図6)Ernest Amory Codman
  • 図7)Carter R. Rowe
  • 図8)Anthony F. DePalma
  • 図9)第1回ICSSのproceeding

第2回は、1983年にJames E. Bateman会長の下、カナダのTorontoで開催されました(図10)。本会には17カ国から約200名、日本からも約30人が参加しました(図11)。65題中13題が日本からの演題でした。Codman LectureはLipmann Kesselによって”The interface between medicine and surgery”と題してなされました。特筆すべきは、この会に先立ち第1回ICSSのTreasurerであったIan Bayleyから、イギリスを訪れた伊藤信之(長崎大学)を通して日本肩関節研究会に第3回ICSSの日本開催に関し打診がありました(図12、13)。最終的には福岡大学教授であった髙岸直人(図14)を会長予定者とした日本と、カリフォルニア大学教授であったRobert L. Samilson(図15)を会長予定者としたアメリカが開催に立候補し、第3回は日本、第4回はアメリカ開催と決定されました。

  • 図10)カナダTorontoで開催された第2回ICSS
  • 図11)日本からの参加旅行団
  • 図12)Ian Bayley
  • 図13)伊藤信之
  • 図14)James E. Bateman会長と語る髙岸直人
  • 図15)Robert L. Samilson

第3回は1986年髙岸直人会長、山本龍二副会長、福田宏明事務局長、松崎昭夫会計責任者の下、日本肩関節研究会が主催し、第13回日本肩関節研究会とのcombined meetingとして福岡で開催されました(図16〜18)。23カ国から約400名が参加し、演題90題中39題が本邦からでした(日本から多くの演題がポスターとして採択)。この会でICSSにデビューし、世界の権威達の研究内容と堂々とした講演に感銘を受け、発奮した若手日本人研究者が多くおりました(図19)。この意味で、以後の本邦の肩関節研究の発展に大きく寄与した学会と言えましょう。Codman LectureはJames E. Batemanによって“The place of fascia lata in shoulder reconstruction”の表題で行なわれました。この会期中、次回アメリカ開催時の会長予定者であったRobert L. Samilsonが1984年に鬼籍に入られたことより、会長がコロンビア大学教授であったCharles S. Neer IIに、開催地もSan FranciscoからNew Yorkに変更され、さらに第5回をParisで開催することが決定しました。この会より主催者によって非公式にnational delegatesが任命されるようになりました。

  • 図16)福岡で開催された第3回ICSS
  • 図17)学会三役(左から福田事務局長、髙岸会長、山本副会長)
  • 図18)裏方を務めた福岡大のメンバー諸氏(中央は松崎会計責任者)
  • 図19)その後の日本肩研究を担った当時の若手研究者

第4回は1989年に、Neer会長の強力な指導力によって多くの国々から多数の参加者が参集しました(図20〜22)。135演題中18題が日本からの発表でした。会場は、格式はあるが古いホテル(Waldorf-Astoria)で、演壇上で質問者の声が良く聞こえないこと、アメリカの若手研究者が質問より自説を滔々と早口で述べるなど、日本と欧州からの演者は質疑応答にかなり苦戦しました。Codman Lectureは髙岸直人が”The frozen shoulder in Japan. Shoulder evaluation in Japan”と題して行いました。この会で次々回の開催国がFinlandに決定しました。この会でも主催者によって非公式にnational delegatesが任命され、後の組織化への布石となりました。

  • 図20)アメリカNew Yorkで開催された第4回ICSS
  • 図21)Neer会長と髙岸前会長兼Codman Lecturer(中央は髙岸夫人)
  • 図22)談笑するNeer学校若手生徒(左から小川、Neer、髙岸、森澤)

第5回は1992年フランスのParisで、会長予定者であったDidier Patteが1989年に死去されたことに伴いDaniel Goutallierを会長として開催されました(図23〜26)。この会でCharles S. Neer IIの提唱でICSSの組織化が計られ、会の名称もInternational Congress on Surgery of the Shoulderに変更されました。長期計画を立てるInternational Board of Shoulder Surgery (IBSS)が組織され、Neerがchairman、福田宏明がtreasurerに就任しました。

  • 図23)フランスParisで開催された第5回ICSS
  • 図24)Didier Patte
  • 図25)Daniel Goutallier会長
  • 図26)学会の終了後、夕刻のパリ見物(凱旋門前)

第6回は1995年フィンランドのHelsinkiとスウェーデンのStockholmで、Martti VastamäkiとRichard Wallenstenを各々会長として開催されました(図27〜30)。この会から正式に地域毎にinternational delegateを決定することになりました。

  • 図27)フィンランドHelsinkiとスウェーデンStockholmで開催された第6回ICSS
  • 図28)Martti Vastamäki会長
  • 図29)Richard Wallensten会長
  • 図30)学会前日夕食を求めて街へ繰り出した当時の若手混成軍

第7回は1998年オーストラリアのSydneyでDavid SonnabendとDesmond J. Bokor共同会長の下開催されました(図31、32)。本会では福田宏明がCodman Lectureとして”Partial thickness rotator cuff tears -a modern view on Codman’s classic”を講演しました。IBSSのChairmanがRobert H. Cofieldに代わりました(図33、34)。

  • 図31)オーストラリアSydneyで開催された第7回ICSS
  • 図32)David Sonnabend会長
  • 図33)学会の重鎮集合(左からMansat、Sonnabend、Cofield、Bokor、福田宏明)
  • 図34)学会は何時も美味しい

第8回は2001年南アフリカのCape TownでDonald B. Mackenzie会長の下、49カ国から700名を越す参加者を得て開催されました(図35〜37)。Codman Lectureは Michel F. Monsatが”The challenge of shoulder arthroplasty -End results and new perspectives”と題して行いました。この会からinternational delegate の地域毎の人数が決定され、international delegatesに拠るIBSSのdirectorsの選挙が始まりました。

  • 図35)南アフリカCape Townで開催された第8回ICSS
  • 図36)Donald B. Mackenzie会長
  • 図37)Table mountainsを背景にした会場前風景

第9回は2004年アメリカのWashington DCでRobert H. Cofield会長のもと、587名の参加を得て開催されました(図38〜40)。従来から肘関節関連演題が漸増傾向にありましたが、この会から肘関節を正式な包含分野としました。このため会の名称もInternational Congress of Shoulder and Elbow Surgery(ICSES)、board名もInternational Board of Shoulder and Elbow Surgery(IBSES)と変わり、ICSET(therapistのための会議)が併設されました。IBSESの ChairmanがStephen Copeland、Treasurerが井樋栄二になっています。Codman LectureはDavid Sonnabendが ”The origin of the shoulder: A fairytale based on fact”と題して行いました。2003年この会に先立ち当時の会長であり、IBSSのChairmanでもあったRobert H. Cofieldから、近い将来の日本開催に対する勧誘を受けました。これを受け日本肩関節学会は、井樋栄二と髙岸憲二を会長予定者として2013年の開催を目指す方針を決定し、立候補の意思を示すためinternational delegate meetingでpresentationを行いました。日本のpresentation内容は素晴らしく、既に国際的に内定していた2010年イギリス開催を覆すことは出来ませんでしたが、2013年日本開催を事実上決定付けました(図41、42)。

  • 図38)アメリカWashington DCで開催された第9回ICSES
  • 図39)Robert H. Cofield会長
  • 図40)Opening Symposiumで顔を揃えた新旧の欧米リーダー(左からGerber, Neer, Walch)
  • 図41、42)Delegates Meetingで、日本の立ち位置をハンバーガー店とJSES掲載数を比較しながらユーモアを交えて紹介した

第10回は2007年ブラジルのLaBahiaでSergio Checchia、Osvandre Lech共同会長の下、1104人の参加者を得て開催されました(図43〜45)。この会では、病気療養のため欠席された福田宏明の永年にわたる会への貢献を顕彰し主会場がAuditorium HIROAKI FUKUDAと命名されました。Codman LectureはLouis U. Biglianiによって”The subacromial space: The shoulder’s unique anatomy. Past, present, and future”と題して行われました。この会で2013年日本開催が正式に決定されました(図46)。

  • 図43)ブラジルLaBahiaで開催された第10回ICSES
  • 図44)Sergio Checchia会長
  • 図45)Osvandre Lech会長
  • 図46)Delegate meeting入り口での最終勧誘風景

第11回は2010年イギリスのEdinburghで、共同会長を予定していたIan Kellyの死去によってW. Angus Wallaceを単独会長として開催されました(図47、48)。Codman LectureはHerbert Reschによって”Proximal humeral fractures: Current controversies”と題して行われました。IBSESのchairmanにLouis U. Biglianiが着任しました。本会後から高岸憲二がIBSESのex-officio memberとして加わっています。

  • 図47)イギリスEdinburghで開催された第11回ICSES
  • 図48)W. Angus Wallace会長

第12回は2013年に日本で井樋栄二、髙岸憲二共同会長、筒井廣明事務局長、玉井和哉会計責任者の下に、48カ国から参加者1150名を集めて名古屋で開催されました(図49〜51)。当初は12月に京都で開催する予定でしたが、2011年に発生した東日本大震災を受けて京都国際会議場が耐震工事を行うため使用不可能となり、4月の名古屋国際会議場での開催に変更されています。本会からIBSESのboard memberに末永直樹が加わっています。Codman Lectureは、Robert H. Cofieldにより“The unending result”と題して行われました。本会は、日本肩関節学会の信原克哉、水野耕作、高木克公名誉会員をはじめとする誘致委員会、準備委員会、実行委員会諸氏の長期に渉る全面的サポートが開催を可能にしたと言えましょう(図52)。本学会においては肘関節に関する演題も含めて計50演題が日本からの口演として採択され、多くの日本人医師が発表を行っています。本会開催の意義と評価は、第3回ICSSと同様に、わが国の肩関節研究の発展と、特に若い会員の研究を促進する契機となるか否かで問われることになります。

  • 図49)名古屋で開催された第12回ICSES
  • 図50)学会の首脳陣(左から山本日本肩関節学会事務局長、玉井会計責任者、髙岸・井樋共同会長、筒井事務局長
  • 図51)参加国は広範にわたり、第1回と比較するといわゆる先進国から発展途上国にまで肩関節外科の世界が広がったことが分かる
  • 図52)実行委員会メンバー

第13回は2016年5月にYong-Girl Rheeを会長として韓国のJejuで開催されました(図53〜55)。Codman Lectureは、W. Angus Wallaceにより“Our legacy to future patients -The best training for the next generation of shoulder and elbow surgeons”と題して行われました。またKessel Lectureとして井樋栄二が”Shoulder instability”を講演されました。本会後からIBSESのchairmanとして Osvandre Lechが着任しております。

  • 図53)韓国Jejuで開催された第13回ICSES
  • 図54)Yong-Girl Rhee会長(左)
  • 図55)第13回ICSES会場において

第14回は2019年にアルゼンチンのBuenos AiresでGastón MaignonとDaniel Moyaを共同会長として開催されました(図56〜59)。日本からみると地球の反対側にあるアルゼンチンで開催された学会でしたが、40名以上の日本肩関節学会学会員が参加し、日本肩関節学会のプレゼンスを示しています(図60)。Codman Lectureは、Stephen S. Burkhartにより“Shoulder arthroscopy: A bridge from the past to the future”と題して行われました。本会で第16回ICSESがカナダのVancouverで開催されることが決定しています。

  • 図56)アルゼンチンBuenos Airesで開催された第14回ICSES
  • 図57)Gastón Maignon会長
  • 図58)Daniel Moya会長(左から2人目)とCodman Lectureを行ったStephen S. Burkhart(左から3人目)
  • 図59)本会では初めて各国肩関節学会の理事長が一堂に会し、各国の現状や将来について語り合った
  • 図60)第14回ICSES Gala dinner

第15回は2023年にイタリアのRomaで、Stefano GuminaとAlessandro Castagnaを共同会長として開催されています(図61、62)。ICSESは3年に一度の開催であり、本来は2022年に開催予定でしたが、2020年からの未曾有の新型コロナウイルス感染症の大流行により1年延期されました。Codman LectureはPascal Boileauによる“Past, present & future of shoulder arthroplasty. My 30-year odyssey through shoulder replacement”と題されて行われました。また本会において髙岸憲二がPioneer in Shoulder and Elbow Surgeryの一人に選ばれ表彰されています(図63)。IBSESのboardが一新され、6代目のchairmanにJoseph P. Iannottiが着任、日本からは末永直樹に代わり菅谷啓之がboard memberに加わっています。本会で第17回ICSESがエジプトのCairoで開催されることが決定しました。

ICSS(ICSES)とIBSS(IBSES)で活躍した邦人を経時的に見ると、初期は髙岸直人、中期は福田宏明、後期は井樋栄二となります(図64〜66)。この方々の活躍を可能にしたのは、その時々の日本肩関節学会員の諸先生の学問的業績と地道な活動であることは言うまでもありません。

  • 図61)イタリアRomaで開催された第15回ICSES
  • 図62)左から第16回ICSESの会長を務める予定のGeorge S. Athwal、Alessandro Castagna会長、Stefano Gumina会長
  • 図63)髙岸憲二がPioneer in Shoulder and Elbow Surgeryの一人に選ばれ表彰された
  • 図64、65、66)ICSS (ICSES)とIBSS (IBSES)で活躍した邦人(髙岸直人、福田宏明、井樋栄二)

JSES (Journal of Shoulder and Elbow Surgery)

1989年の第4回ICSS (New York)で、ASES (当時の会長はMelvin Post)の賛同の下にCharles S. Neer IIの強力な牽引力によって、全世界の肩の知識の交流を促進する目的で肩・肘関節外科専門の雑誌創刊が企画されました(図67、68)。準備の第一段階として、1990年にFounding Board of Trustee (Neer, Bigliani, Post, Matsen, Rockwood, Cofield)が発足し、ついで1991年評議会(Board of Trustee)(Neer, Bigliani, Post, Matsen, Rockwood, Cofield, Sneppen, Mizuno; アメリカ以外の評議員は水野耕作とOtto Sneppen) が成立し、議長(Chairman of Board of Trustees)にCharles S. Neer IIが就任しました。同年 International Editorial Boardが16名(日本からは水野耕作1名)で構成され、編集長(Editor-in-Chief)には Robert H. Cofieldが就任しました(図69)。

評議員と編集長が月1回の電話会議を行い、原稿の受領数、査読方法などの詳細を詰め、1992年の創刊に漕ぎ着けました。日本は、構成する6地域(北米、欧州、ブラジル、オーストラリア、南アフリカ、日本;当時肩肘専門学会は日本肩関節学会とASESだけでした)の一つとして、独立した論文審査権が認められました。1991年、創刊の企画時から第18回日本肩関節学会会長として交渉に当たった水野耕作が、初代の日本編集者(Editor)として就任しました。編集員(Associate Editor)は本学会の第一世代(福田宏明、桜井実、信原克也、山本龍二、加藤文雄、竹下満、松崎昭男;1995年松崎は柴田陽三と交代)が務めましたが、正規の学会内委員会としての発足は見送られました(図70)。本来地域毎に査読を終了した論文は、International Editorial Boardで再審査される原則でしたが、1993年当時の編集長(Editor-in Chief)であったRobert H. CofieldがBoard of Trusteeへ提言し、本邦からの論文に関しては無審査で受け入れられることになりました(図71)。当時熱心に査読頂いた会員諸氏の努力の賜物と水野は回顧しています(水野自身は、その貢献により1996年と2000年にBoard of Trusteeから表彰されています)。

  • 図67)創刊に尽力した初代評議会議長Charles S. Neer II
  • 図68)当時のASES会長Melvin Post
  • 図69)初代の日本編集者となった水野耕作
  • 図70)初代の編集体制と日本編集員
  • 図71)初代編集長Robert H. Cofield

1994年、評議会議長がOtto Sneppenに(図72)、さらに1997年評議会議長がRobert H. Cofield(アメリカ以外の評議員は水野耕作とNorbert Gschwend)、編集長がRobert J. Neviaserに代わりました(図73)。本邦においては1999年新たに正規の学会内委員会として発足し、編集員が大幅に若返り(水野耕作、髙岸憲二、小川清久、福田公孝、中川照彦、後に玉井和哉、荻野利彦が加わる)、翌2000年に評議員・編集長も髙岸憲二に代わりました(アメリカ以外の評議員は髙岸憲二とMichel F. Mansat)(図74、75)。

  • 図72)第2代評議会議長Otto Sneppen
  • 図73)第2代編集長Robert J. Neviaser
  • 図74)第2代日本編集者の髙岸憲二
  • 図75)第2代の日本編集員

2005年評議会議長がLouis U. Biglianiに、さらに2007年Bernard F. Morrey、2010年Joseph P. Iannottiに代わりました。そして2009年に編集長がWilliam J. Mallonに交代するとともに、編集・査読方針が大きく変わりました。それまで各地域に任されていた査読権や査読者の選択権が地域から無くなり、編集長(Editor-in-Chief)・評議会が選定した編集員中心の査読に変わりました(図76)。2013年にEvan L. Flatowが評議会議長に代わるとともに、日本からの評議員は井樋栄二になりました(図77)。現在、井樋栄二がDeputy International Editor、今井晋二がBoard of TrusteesとAssistant Editorを務めています。またJSESの姉妹紙であるJSES International、Seminars in Arthroplasty: JSES、JSES Reviews, Reports & Techniquesにおいてもそれぞれ松村昇、山門浩太郎、菅谷啓之がAssociate Editorを担当しています。

創刊から現在までの間、様々な編集方針、査読方法、出版頻度、電子出版の併用などの変革により、論文の質が改善しました。この結果、1999年に0.67であったimpact factorが、2014年には2.289、2021年には3.507にまで上昇しました。一方、最近では地域に関わらずアメリカ留学経験者を中心とした編集員構成やアメリカ中心の編集方針により、肌理の細かいまた独創的な欧州的・日本的な論文は影を潜め、アメリカ的な割り切った論文が増えました。本誌の歴史の中で活躍した邦人は前半が水野耕作、後半は髙岸憲二と井樋栄二です。

  • 図76)第3代編集長William J. Mallon
  • 図77)第3代日本編集者の井樋栄二

ASES (American Shoulder and Elbow Surgeons)

1982年にNeerを会長として創立され、第1回(設立)会合がNew York(Plaza Hotel)で開催されました(図78)。肩関節専門の学会としては1974年の日本肩関節学会(当時は研究会)に次いで2番目に開催された学会となります。参集したFoundersと共に、最初かつ唯一のcorresponding memberとして福田宏明が参加しています。1985年からは従来のclosed meetingに加えopen meetingが毎年開催されています。Closed meetingを構成する会員数は現在1379名で、招待を基本とするcorresponding memberのうち日本人は21名です。

学会同士としての付き合いは意外に遅く、2014年に船越忠直と山本宣幸が交換留学として派遣されてはじまり、現在までに8名の学会員が派遣されています(図79、80)。当初は2年に一度2名を派遣する1方向の交流でしたが、2022年9月にはAsian Exchange fellowshipとしてASESからの交換留学生をはじめて受け入れ、初回はLewis L. ShiとStephanie Muhが来日し多くの施設を見学されました。

2019年10月にFrank A. Cordascoが主催した第38回Annual Meetingは日本がASESのguest nationに選ばれ、計13名の日本肩関節学会学会員が参加しました(図81)。同会においては井樋栄二がCharles S. Neer II Lectureとして”Revival and renewal”を、菅谷啓之がGuest Nation Lectureとして”Evolving concept for shoulder stabilization: roles of bone, capsule, and rotator cuff”を講演しています。

  • 図78)ASESの第1回会合の集合写真(後列右から4人目は唯一のcorresponding memberである福田宏明)
  • 図79)2014年、最初のASES交換留学においてTibone(右から2人目)とともに(船越忠直、山本宣幸)
  • 図80)2018年、ASES交換留学においてDine(左端)、Cordasco(右端)とともに(松村昇、瓜田淳)
  • 図81)日本がguest nationとなった第38回Annual Meeting

SECEC (European Society for Surgery of the Shoulder and the Elbow)

1987年にDidier PatteとNorbert Gschwendによって創設されました(図82、83)。現在1000人弱の会員を擁していますが、そのうち我が国の会員は4名です。

1992年SECECではアメリカ・ヨーロッパ間の交換留学を開始しましたが、これに遅れること2年の1994年に日欧間の留学制度が発足し、初回の交換留学生として井樋栄二が派遣されました。この発足に当たっては1993年第3回Scandinavian-Japanese Shoulder Congressおよび第7回SECECの会長を務めたデンマークのOtto Sneppenの尽力と、当時の伊藤信之会長と福田宏明の交渉力によるところが大でありました。発足から3年間は3Mから毎年5,000ドルの資金援助が提供されましたが、それ以降はSECECと日本肩関節学会の手持ち資金で運営されています。当初留学生は各年1名でしたが(図84、85)、2004年から2名に増員されました(図86、87)。しかし2012年からはアジア・ヨーロッパ交換留学と形態を変えたため、本邦からの留学生は再び1名となっています(図88)。これまでに19名の学会員が派遣されましたが、SECECとの交換留学経験者が現在の日本肩関節学会の中核を形成しており、交換留学が国際的活躍の足掛かりとなっています。

2011年の学術集会では井樋栄二がGuest Lectureとして”Japan Shoulder Surgery; Past, present, and future”を講演し(図89)、2012年の25周年記念誌には、日本肩関節学会はSECECの姉妹学会として当時の中川照彦会長が祝辞を寄せ、緊密な関係にある事を示しています(図90)。

  • 図82)SCEC創設者のDidier Patte
  • 図83)Norbert Gschwend
  • 図84)1994年の第1回の訪欧留学、イタリアMilanoでRandelli(右端)とともに(井樋栄二)
  • 図85)1996年の第2回訪欧留学、デンマークAarhusでSöjbjerg(左)とともに(柴田陽三)
  • 図86)2004年、第6回訪欧留学において、SECEC会長であったResch(中央)とともに(池上博泰、皆川洋至)
  • 図87)2008年、第8回訪欧留学において、デンマークCopenhagenでデンマーク肩肘学会幹部との集合写真(後藤英之、高瀬勝己)
  • 図88)2012年の第10回訪欧留学から韓国と日本各1名となり、SECEC会場で韓国のJin-Yong Parkとともに感謝状を受ける三幡輝久
  • 図89)2011年の学術集会でGuest Lectureを行い、Walch会長から感謝状を受ける井樋栄二
  • 図90)SECEC25周年記念誌に当時会長を務めていた中川照彦が送った祝辞

Scandinavian-Japanese Shoulder Congress

1986年福岡での第3回ICSS、翌1987年の第14回日本肩関節研究会(三笠元彦会長)にフィンランドからMartti Vastamäki、Pekka Paavolainenが出席し、日本との濃密な交流が始まりました。これを契機に、Martti Vastamäkiの熱心な招請により、1989年第1回がHelsinkiでMartti Vastamäki会長の下に開催されました(図91〜93)。この会では日本から多くの参加者を招聘するため、日本語の同時通訳が用意されましたが、日本人の第2演者のときに全く通訳できなくなり、いつの間にか通訳者がブースから退席してしまうアクシデントがありましたものの、終始友好的な雰囲気で会は恙無く終了しました。

  • 図91)第1回学会の口演風景(座長Vastamäki会長、演者伊藤信之)
  • 図92)第1回の会場風景
  • 図93)第1回学会後の鈴木良平幹事(左から4人目)を囲む旅行団

1991年第2回が大磯で福田宏明会長の下で開催されました(図94、95)。手作りの学会運営を目標に、当時の日本肩関節学会の若手幹事が自発的に資料の袋詰め・自動車の運転手など裏方を勤めました。

1993年第3回がOtto Sneppenを会長としてデンマークのAarhusで開催されました。事務局長を務めたJens Ole Söjbjergには、この会に限らず以後大変お世話になりました(図96〜99)。

1995年第4回が日本肩関節学会に引き続き山本龍二会長の下に、奈良で開催されました。アジア各国からの参加もあり、国際色が豊かな学会となりました(図100)。

1997年アイスランドで第5回を開催する予定でしたが、同国が未曾有の経済破綻に見舞われ、中止となりました(図101)。

1999年第6回が尾崎二郎会長の下にInternational Symposium & Practical Course on Shoulder Surgeryと併設し京都で開催されました(図102)。

他の国際的肩学会が充実してきたこと、狭い地域間交流の意義が薄れたことにより、この第6回を最後に本学会は短い生命を終わらせることとなりました。しかし、北欧での開催時にはあまり訪れる機会が無い地域であったこともあり、学会前あるいは学会後に出身母体に関係なく旅行団を組み日本からの参加者相互の親交も深めました。また出席者の平均年齢が若く、各組織から1〜2名の参加であったことから、一団となって街の散策や食事に繰り出し、楽しい思い出となりました。学術的には本会で国際学会にデビューした肩関節学会員も多く、本格的な国際学会への前座的な役割を担った会でした。

  • 図94)第2回における福田宏明会長夫妻とCraig
  • 図95)アメリカとヨーロッパの巨頭(NeerとSneppen)
  • 図96)第3回における会長招宴でのボス集合(前列左端山本龍二、右から二人目Neer, 後列に左から信原克哉、福田宏明、最右端はSneppen会長)
  • 図97)中堅集合(後列左端Söjbjerg、6人目にWalch)
  • 図98)第3回学会前にCopenhagenを訪れた信原、山本、安達、森岡御大を含む旅行団
  • 図99)第3回学会後のAmsterdam訪問
  • 図100)会場(能楽堂)で挨拶する第4回会長の山本龍二
  • 図101)中止されたアイスランド開催通知
  • 図102)第6回に参加した各国要人(前列中央は尾崎二郎会長)

KSES (The Korean Shoulder and Elbow Society)

KSESは1993年に創立されました。KSES発起人の一人であるKwang-Jin Rheeと、その後台頭したYong-Girl Rheeが日本肩関節学会およびICSESとの交流に熱心に取り組まれました(図103、104)。お二人は2006年に非公式に来日し、多くの医療機関を訪問しています。翌年の2007年からは正式に日本肩関節学会とKSESと隔年で派遣と受入れを行う交換留学制度が開始され、2007年には日本肩関節学会から鈴木一秀と水野直子が初代交換留学生として派遣(図105)、2008年にはKSESからTae-Soo ParkとKwang-Won Leeが来日しています。2年に一度、春のKSES学術集会に合わせて日本からtraveling fellowが派遣され、現在までに16名の学会員が派遣されています(図106)。

交換留学に加え、2008年からは日本肩関節学会とKSESとの間で相互発表制度が始まっており、また学術集会にお互いの学会長を海外招待講演者として招待するなど、現在まで友好的な関係を築いています。また2024年の第31回学術集会ではKSESとして初めてのguest nationとして日本が選ばれています。

  • 図103)KSES発起人の一人であるKwang-Jin Rhee
  • 図104)Yong-Girl Rhee
  • 図105)2007年にはじまった第1回KSES traveling fellowにおいて、韓国料理で歓待を受ける鈴木一秀と水野直子
  • 図106)2013年に開催された第21回KSES学術集会にて
  • 世界の肩関節関連国内学会、国際学会、雑誌の設立年表
    ※画像クリックでPDFファイル参照