会長
松野誠夫
第12回研究会は、昭和60(1985)年10月5,6日の2日間にわたって、札幌パークホテルで、松野誠夫教授の主宰で開催された。筆者(石井)は、その2年前に札幌医大に転出していた。学会の番頭役は教室の福田公孝先生が担当した。
松野会長は昭和27年から3年間、米国のPresbyterian Hospital of Chicago 整形外科にレジデントとして留学した。北大に帰学後に陸上自衛隊札幌地区病院の顧問医を担当されたが、先生の興味を引いたのが習慣性肩関節脱臼の隊員の多いことであった。銃剣術による負傷が原因で発症していた。先生は、米国で習得したPutti-Platt 手術を本疾患に対する手術法として採用し、先生自らが執刀された。
第1回肩関節研究会が開催された昭和49年には、術後経過を観察可能な症例は100例を超え、その年数は最長20年に達していた。手術適応の症例全例にPutti-Platt法が行われ、術者が1人に限定されていたことで、われわれの術後成績の報告は、会員から信頼をもって受け入れられた。
第12回研究会を主宰するにあたって会長が期待したことは、ライフワークである習慣性肩関節脱臼に対するPutti-Platt法の臨床的意義を集大成することであった。研究会では主題として①腱板断裂、②骨折・脱臼、それに③習慣性肩関節脱臼が取り上げられた。主題③では、Putti-Platt法の外にBankart法、Bristow法、Oudard-岩原法、Oudard-神中法、Boytchev法などの治療成績が報告された。それぞれの報告では、原法に改良を加えることで、原法の欠点を補おうとするさまざまな工夫がなされているのが新しい傾向であった。北大からは、Putti-Platt法に腸骨移植による臼蓋形成術を加えることで、良好な成績が得られることが報告された。
特別講演はF. A. MatsenⅢ(Univ. of Washington Seatle)の“Challenges of Glenohumoral Reconstruction”であった。Putti-Platt 法に臼蓋形成術を加える際の、示唆に富んだ講演であった。
第12回研究会のもう一つの特筆すべきことは、研究会のロゴマークを教室の福田公孝先生が考案し、抄録集の表紙を飾ったことである。ロゴマークはその後、肩関節学会のシンボルマークに採用されて現在にいたっている。このロゴマークとともに、日本肩関節学会が発展してきたことを嬉しく思っている。
(文責 石井清一 札幌医大名誉教授)
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松野誠夫名誉教授
(北大定年退職時に撮影) -
第12回肩関節研究会・抄録集表紙
(日本肩関節学会のシンボルマークが初めて使用された)