会長
東北大学名誉教授 櫻井 實
1.緒言
四肢の大切な運動機能の要として肩周辺の複雑な組織は重要である。錯綜した解剖学的な構築を解明するためにも、じっくりした研究体制が大切である事は十分わかっているが、中々その研究にばかり専念する事も難しい。
そうこうする内に、1980年頃、交通事故の増加に伴って、重篤な腕神経叢損傷に起因する上肢の機能不全に対する困難を極める症例に遭遇する時代が到来する。三角筋麻痺や、上腕二頭筋麻痺に対する胸鎖乳突筋の移行術を始めとして臨床経験を蓄積する背景ともなったが、上肢挙上障害を来たす顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーに対する肩甲骨・胸郭固定術などの批判を受けるべく、1983年、トロントで開催された第2回国際肩関節学会に参加させてもらった経緯がある。
この学会はJ.B.Batemanが主催したもので、国際学会初参加の日本人で賑った親しみのある会議でもあったが、その3年前に、仙台で開かれた東日本整形災害外科学会にDr.Batemanを特別講演者として招待したこともあって、更に一段と緊密感を抱いたものであった。この国際学会の理事会で、カナダの次の開催地を選ぶ事になっていたが、特別の縁故関係でもあり、又、情報提供の日本の背景を理事会で開陳する必要もあって特別に出席を許可して貰う扱いを得ることが出来た。そこで、すんなりアメリカを抜いて日本が1986年に福岡大学の髙岸直人教授が会長となって第3回国際肩関節学会を主催する事が決議された。
髙岸直人教授は日本の肩関節学会の草分けとして既に我が国の肩関節研究会の3回目の会長を歴任しているが、国際学会の会長を掌握する確固たる実力と名誉を称えて、日本の肩関節学会の第13代目の会長として兼務される事になった。
2.仙台での第15回日本肩関節学会の主催
肩を寄せ合う学会というあだ名も付いている程、親しい仲間意識の強い学会の運営は極めて円滑であったという記憶が強い。髙岸会長の後を受けて直ぐ15回目の会長に推挙されることになる。
東北大学整形外科学教室に残されている記録によると、1988年(昭和63年)10月14~15日、仙台市民会館小ホールで開催することとなった。国内からの参加者は420名で、前年を凡そ100名上回わる盛況ぶりであった。
主題として、「肩の神経障害」と「肩のimpingement」を中心として演題を募集したが、140の演題が集まり、2日間での発表が円滑に行われるように、1施設4演題までに絞り込み、79の演題をこなす事が出来た。
3.特別講演の妙味
日本からの留学も多いOttawa大学のHans K.Uhthoff教授の「Supraspinatus tendon: A Clinicopathologic Study.」の講演を聴取する事が出来た。いわゆる腱板損傷の成因と治療の大綱を理解することが出来た。
もう一人の特別講演者はCampbell ClinicのDr.David Siskで、演題名は「Shoulder Impingement Syndrome in the Athlete.」と云うものであった。米国で盛んな野球の投球障害についての臨床を学ぶ事が出来た。
学会場で、二人の特別講演者と一緒に演題発表を聞く著者、櫻井のスナップを掲載しておく。
4.歴史の流れとその背景
東北大学整形外科学講座初代の三木威勇治教授が「五十肩」と題する単行本を昭和22年(1947年)に日本医書出版から出版している。昭和17年に赴任され、物資のない時代だが80頁に亘って、臨床例の分析からいわゆる五十肩の病態に迫る記録が記載されている。このような臨床例の検討と分析、そして研究の道を開く王道の流れに医学の歴史を感じるのである。
第19回学会は田畑四郎、37回学会は熊谷純、そして42回日本肩関節学会の会長を務めた井樋栄二は何れも東北大学所属であることを思案すると、昔から地道に意識していた肩関節に纏わる医学の歴史的流れを大切にしたいものである。
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学会場における左から櫻井会長、シスク(キャンベルクリニック)、
ウトフ(オタワ大学)両特別講演者