会長
信原克哉
鹿児島で開催された研究会の前日、理事会での“ぼちぼち、会長をするか”との声を受け、第6回日本肩関節研究会を担当することになった。(表1)
本邦で個人病院が医学関係の学会を主催するのは初めてということで、大勢の人から不安がられたようである。早速、教室の教授に報告に行ったが、“その日は韓国でテニスをすることになっている”との返答。ここで誰にも支援を求めず、手造りの学会をすることにした。
表1. 日本肩関節研究会幹事一覧(第6回)
北海道 | 松野誠夫(北大教授) |
東 北 | 星 秀逸(岩手医大助教授) 若松英吉(東北大教授) |
関 東 | 福田宏明(東海大助教授) 河路 渡(杏林大教授) 土屋弘吉(横浜市大教授) 津山直一(東大教授) 山本龍二(昭和大助教授) |
中 部 | 藤本憲司(信州大教授) 田島達也(新潟大教授) |
近 畿 | 信原克哉(信原病院院長) 上羽康夫(京都大助教授) |
中四国 | 安達長夫(広島大助教授) 遠藤寿男(鳴門病院部長) 服部 奨(山口大教授) |
九 州 | 宮崎淳弘(鹿児島大教授) 松崎昭夫(福岡大助教授) 鈴木良平(長崎大教授) 高岸直人(福岡大教授) |
まず、研究会の開催日時と会場を決めた。小さい市民会館だが全館を占有することでこと足りる。学会の準備は当院の医師と理学療法士、それに看護師と事務員たちが全面的に協力してくれた。
もっとも気を配ったのは参加者へのhospitalityであった。“田舎で不便”とのそしりを受けないように、駅から会場までの足をタクシー・バス会社と交渉して確保した。また、会場付近に飲食店が少ないので、中ホールを休憩所にあて大量のお弁当と茶菓を準備することとした。記念品として「肩」ロゴ入りのメダル(図1)の用意、休憩時には、ジャズ界で有名な小曽根実カルテットの演奏をお願いした。招待者と特別講演者、理事、座長の諸氏の宿泊のために赤穂温泉の観光ホテルを充て、懇親会では赤穂大太鼓に出演を依頼、二次会にはlocal colorまるだしのクラブを予約した、などなどである。製薬会社と医療機器会社からの協力申し出は固辞したが、唯一例外を設けた。例年この研究会を支援し続けてくれた製薬会社からのポケットに入るプログラム製作(図2)と懇親会の費用負担の申し出である。
- 図1)参加者への記念品。肩のロゴ入りのキーホールダー。
- 図2)ポケットに入る学会プログラム(11.5㎝×21㎝)。
特別講演の演者として、迷うことなくMayo ClinicのCoventry教授と、Memphis滞在中に親しくなったCalandruccio 教授を選んだ(図3)。しかし、前者からは“若手だが肩専門家を目指すBob Cofield君を送りたい”との回答があり、期待とともに了承した。
学会前夜の懇親会は、季節はずれの台風に祟られ欠席者が多く、大太鼓は響いたが盛り上がりは欠けた。天災は筆者の責任ではないが、精進の悪さが影響したのだろうと反省した。広畑教授は荒天のなか駆けつけてくれたが、“愛犬の臨終に間に合いたい”とのことで深夜に帰宅された。東京の山本、福田両氏のエスコートでこちらに向かった米国の客人たちは、新幹線が不通となり夜遅く到着した。当然、懇親会には間に合わず二次会のクラブで食事する破目になったが、髙岸教授に接遇していただいた(図4)。
- 図3)Campbell ClinicのCalandruccio 助教授(当時)。
- 図4)高岸先生と談笑するCalandruccio夫妻とCofield夫妻。
学会当日早朝、会場の前で津山教授の姿を見かけた。先生はギリシャから成田に着き、新幹線が不通のため深夜の高速バスで来られたとのことであった。先生の厚情に心の中で手を合わせたことを覚えている。先生からギリシャ学者の塑像をお土産としていただいた。そのとき以来、それは私の部屋の机上に立っている(図5)。註)立像の台座の文字の意味は分からないが、調べるとアスクレピオスというギリシャ神話の医術の神でアポロンの子とあった。彼は死人を甦えらせたためゼウスに殺されたが、のちに蛇つかい座に据えられたとある。
- 津山直一先生
- 図5)津山直一先生からのお土産。
学会当日のことはあまり記憶にない。学術集会はスムースに進行したのだろうが、会場内にあまり居なかった私にはわからない(表2)。写真と記録を探したが見当たらず、撮ってもらったはずの会長の勇姿もない。忙しすぎたのであろう。滅私奉公の結果ともいえる。“お弁当の数が足らなくなりそう”との報告があり、会場を見ると大勢の他科の医師と柔道整復師たちの姿をみた。学会を盛り上げようとして、あるいは参加が少ないのではないかと案じて来てくれたのだろうか。感謝にたえない。学会期日に間にあい展示場に並べられた日本で初めての肩の教科書、「肩-その機能と臨床」(医学書院、1979年)は、参加者の数に比例して好調な売れ行きだったという。
表2.第6回日本肩関節研究会プログラム
日時 | 昭和54年10月20日 1979年 |
場所 | 相生市民会館大ホール |
当番幹事 | 信原克哉 |
演 題 | 27題、参加者約400人 |
招待講演1 | The place of Total Shoulder Arthroplasty in Reconstructive Shoulder Surgery Mayo Clinic R.H.Cofield |
招待講演2 | Replacement of Tumor of the Proximal Humerus Campbell Clinic R.A.Calandruccio |
学会終了後もお客さんと「肩寄せ合う会」の友人とで余韻を愉しんだ。台風一過の瀬戸内の室津港の風景は美しく、料理旅館での宴会に色を添えた。陽気なPamella夫人は談笑していたが、Bobは前夜のダンスが忘れられない様子であった(図6)。一方、食後に“パチンコに行きたい”と絶叫したBetty夫人は手渡した資金をスッテ無口となったが、フィーバーしたCalandruccioは、大はしゃぎしていた(図7)。店の主人がしてくれた細工のことは知る由もないだろう。
姫路城と京都の観光に三日費やした彼らは新幹線で、東京に向かった(図8)。肩が縁で出会った人達に感謝しながら、想い出の写真を駄文に加えておく(図9)。
- 図6)クラブでダンスを楽しむCofield。
- 図7)パチンコに興じるCalandruccio。
- 図8)JR相生駅でのお別れ。右から、筆者、Pamella、Betty、Roc、Bob。
- 図9)手造りの盾。Calandruccioからの贈り物。