1. 自己紹介
山形県立保健医療大学大学院、理学療法士の星川恭賛と申します。2021年に山形県立保健医療大学保健医療学部理学療法学科を卒業後、卒業研究で行った肩腱板筋群についての研究をきっかけに肩関節に興味を持ち、同年同大学大学院の博士前期課程にフルタイム大学院生として入学しました。大学院では指導教官の村成幸先生のご指導の下、肩関節に関する基礎および臨床研究を行ってきました。博士前期課程は2022年修了し、同年から現在にかけては同大学院の博士後期課程に在籍しています。また、2022年からは日本学術振興会特別研究員DC1としてテキサス大学サンアントニオ校医工学部の Hugo Giambini 先生の研究室へ留学し、肩関節のバイオメカニクスについての研究を続けています。
2. 海外留学を行うことになったいきさつは何ですか。
海外留学に憧れ始めたきっかけは、私が学部生の頃(2019年)、Giambini先生の研究室へ留学されていた同大学院OBの由利拓真先生(現京都橘大学)の存在でした。由利先生には留学前からアドバイザーとしてご教示いただいており、留学が決まった時の由利先生の姿をみて、私もそうなれたらいいなという思いが芽生えました。本格的に留学を目指したきっかけは、2020年にフェニックスで開催されたORSでした。当時、私は学部生で、前指導教官の清重佳郎先生の勧めで卒業研究テーマをORSへ投稿する機会をいただき、幸いにもアクセプトされ、初めて国際学会へ参加することになりました。初めての国際学会は私にとって刺激の連続で、学会規模の大きさと英語で円滑にディスカッションしている先生方の姿をみて、世界で研究したいと思いました。由利先生の紹介で学会会場に来ていたGiambini先生とも初めてお会いでき、ここしかないと思い、拙い英語で自分が行ってきた研究テーマのプレゼンと将来留学したい意思をその場で伝えました。Giambini先生はとても親身に聞いてくださり、留学のための2つのプランをご教示くださいました。プラン1は留学時の生活資金を自分で調達してからリサーチフェローとして留学する。プラン2はテキサス大学のPh。D。プログラムに直接アプライするプランでした。私はまずプラン1を選択し、大学院へ進学後、博士前期課程では指導教官の村先生からご指導をいただきながら日本学術振興会特別研究員DC1(学振)の獲得を目指しました。その結果、2021年9月に採用が決定し、Giambini先生も快く留学を引き入れてくださったため、2022年8月からテキサス大学へ留学させていただく運びとなりました。学振の獲得へ至る道のりは、右も左も分からなかった私を正しい方向へ導いてくださった先生方のサポート無しでは辿り着けませんでした。このような恵まれた環境下で学部、大学院生活を送れていたことが私にとって一番の海外留学へのきっかけだったと思います。この場を借りてご指導いただいた前指導教官の清重先生、現指導教官の村先生、アドバイザーの由利先生、山形県立保健医療大学関係者に感謝申し上げます。
3. 海外での留学や生活について不安だったことがありますか。そしてその不安について今現在はどう感じておられますか。
不安だった点はまず英語でのコミュニケーションでした。英語学習は留学する2年前から週5日15分オンライン英会話をやると決めて取り組んではいました(サボってしまった時もありました)が、実際現地での会話はテンポが速く、最初は会話に入れず、苦しい思いと自分の勉強不足を反省しました。特に、最初のラボミーティングでは、他のラボメンバーがスムーズにプレゼン、ディスカッションをする中で、私はなかなか自分の意見を伝えられず、Giambini先生とラボメンバーが険しい顔になりながらも必死に意図を汲み取ろうとしてくださったことは今でも覚えており、大変苦労をかけたと思います。それでもラボメンバーはいつも快く私の相談に乗ってくださり、彼らのサポートを得ながら平日は研究、週末は一緒に遊びに出かける中で、会話のテンポ感や会話独自の表現や言い回しを学んでいくことができました。これは現地でのコミュニケーションを通じてしか得られなかったものだと思います。プレゼンの面では、私と同じようにリサーチフェローとして留学していた学生のシンプルな表現かつ簡潔な文章で発表している姿をみて、そのやり方を真似していったことで、次第にGiambini先生とラボメンバーの顔が険しくなる時は減りました。もちろんまだ会話についていけない時はあります。。。また、留学時期が円安時期と重なっていたため、生活資金も不安な点でした。学振から支給される生活資金20万円のうち、家賃で半分は消費したため、残りの資金でギリギリの生活を送っていました。テキサスの家賃・物価は他の州よりも安価であったことが救いで、他の州であれば生活はできていなかったと思います(笑)
4. これから海外留学を考えておられる方へのアドバイス
20代で海外留学を経験できたことは、とても大きな財産となりました。1つ目は海外の研究者と共に英語での研究生活を送れたことで、今後国を跨いで共同研究する選択肢が増えたことです。2つ目は国際学会での発表で、だんだんとディスカッションができるようになり、発表を行う意義が大きくなったことです。3つ目は留学生活の中で米国はもちろん様々な国の友人ができ、コミュニティが大きく広がったことです。留学前にはいなかった海外の友人ができたことは、言語の面はもちろん、今まで知らなかったその国の文化や情勢を学ぶきっかけにもなりました。私は単身での留学だったため、特にルームメイトやラボメンバーとは言語面から精神面においてもお互いに支え合う仲となり、一生の友人になりました。留学して一番に感じたことは、想像以上に海外からのインターナショナルステューデントやリサーチフェローなどの留学生は多く、留学生に対しての理解があり、お互いに助け合って研究・生活している環境があるということでした。最初は怯えながらの海外留学への一歩でしたが、今では自信をもってその一歩を踏んで良かったと思っています。拙い文章で恐縮ですが、私の経験が皆様の海外留学挑戦への一歩を後押しできますと幸いです。
5. 研究室・テキサス州サンアントニオの紹介
私が留学したHugo Giambini先生の研究室(Musculoskeletal & Orthopedic Biomechanics Laboratory)では、肩関節のバイオメカニクス研究、画像解析研究、分子生物学研究が行われており、MicroScribe、Material Testing System、3D Digital Image Correlation System、 Shear Wave Elastographyなど最新鋭の研究設備も整っています。隣接するUT Healthの肩関節チームとも共同研究が行われています。私は主にCadaverを用いたバイオメカニクス研究を行っており、肩腱板筋亜区画の関節安定性への寄与をテーマに研究を続けています。
大学のあるサンアントニオは、テキサス州の南部に位置し、テキサスとメキシコ文化が混ざりあった地域です。現地の人々はとても陽気で明るく、留学中は彼らの人柄と笑顔に救われた時が多々ありました。
テキサスは他の州と比較して物価も安く、非常に生活しやすい環境です。また、綺麗な町並みのリバーサイドウォーク、「Remember The Alamo!」で有名なアラモの砦、今NBAで話題のVictor Wenbanyamaが活躍するサンアントニオ・スパーズ本拠地、日本のBBQとはまた異なるテキサスBBQなど見所も盛り沢山です。
末筆ではございますが、この度の海外留学記に寄稿する機会をいただきました広報委員会委員長の夏恒治先生をはじめ広報委員の皆様に感謝申し上げます。